色々なことを同時並行でバイタリティ高く取り組むことが得意な子だったと思います。おそらくそのルーツは、小学の時に“書道教室行ってから野球チームの練習に参加して、英会話行ってから、柔道の練習に通ってた”こと。(忙しい小学生!笑 ) 高校や大学に行っても、勉強は最低限に、興味を持ったことに色々なチャレンジをしていました。「身体何個あるの?」「寝てないだろ?」みたいなことをよく言われたことを考えるとバイタリティという面では衰えなく維持出来ていたと思います。社会人になって加わった要素としては、「人との繋がりのなかで成果を出していくこと」を覚えられたこと。自分の力では1から10にするのは大変だけど、チームとして臨めば100億の仕事も出来るというのは社会人だからこそ体験できたことだと思います。
日本生命と言えば「営業」というイメージが強いかもしれませんが、私が属してた職種の「総合職」という立場は営業を担うことは稀で、多くが本部組織に属します。(=内勤)ただ、総合職は、日本生命という営業と内勤で合わせて6万名いる会社の「将来、経営を担うこと」を期待されている職種だけに、常に「1つ上の目線で考えよ」が合言葉のようにあったように思います。全員がそのような思いを抱いている中で、さらに突き抜けるには「自分が既に経営層になった」という気持ちで働いていました。そうすると、社内競争よりも世の中の事象に興味の目が行きますし、仕事も他と同じようなことをしていてはダメだとか、良い指針になっていたのかなと思います。本旨とはずれるんですが、米田の圧倒的に突き抜けた営業実績を知人等から聞くことは自分のことのように嬉しかったですね。(米田が、この性格なので、本人から直接聞くことはあまりなかったですが。笑)社会人10年目になった時にお互い会社の”従業員代表”という立場になって、同じような仕事をしていた時は、笑いました。「違う会社で全然違う仕事になるけど、お互い頑張って行こうな!」と言って別々の道を歩んだはずなのに同じ仕事をしていましたからね。笑
社長の米田から「一緒に起業をしたい」という話をされた瞬間に、大学時代に米田と何回も交わした会話、その時の映像がフラッシュバックしました。「俺、絶対に起業するから。その時は、どんな状況であっても佑太を誘うからな!」と、前のめりに意気込んで言う米田。「分かった。その時は、どんな状況でも二つ返事“YES”って言ってあげるよ」とカッコつける自分。「その時が来た」と思いました。大学時代の多くの時間を過ごし、社会人になってからも会社は違えどお互い価値観変わらずに過ごした親友からの誘いに対し、社会人11年間で積み上げたもの全て捨てることに一片の迷いはありませんでした。「OK!会社の名前どうしようか?」二つ返事で"YES"、二言目で会社名の検討に入っていたことがつい先日のように感じます。
良い意味で名脇役であって欲しいと思います。我々“そら”が実現したい未来は、「北海道十勝に人とお金を呼び込む」こと。そして、そのために「北海道十勝を日本で一番素敵な場所にすること」だと思っています。1に十勝、2に十勝、3・4も十勝で、5も十勝。十勝の発展に圧倒的に寄与することを目標に頑張って行きたいです。