Shogo MIZUNO

取締役CFO 水野 彰吾

・1986年1月18日生

・同志社大学法学部卒

・2009年4月 野村證券株式会社入社

・野村證券入社後、神戸支店・千葉支店・本社にてコンプライアンス業務等に従事。また、2015年から3年間、野村證券従業員組合の専従を務める。

・2020年3月 野村證券株式会社を退社

・2020年4月 代表の米田と共に株式会社そらを設立

留年しかけた大学時代。

一つのことに集中すると視野が狭くなるタイプの人間でした。大学時代、英語debateに熱中しすぎ、危うく大学4回生の時に留年をしかけました。野村證券に入社すると最初の配属の神戸支店でこれまでのプライドは全て粉々になりました。仕事とは何か、自分の存在価値は何かを日々考え(考えさせられ)、当時はしんどかったですが、その後の会社人生の軸の一つになりました。

「GIVEの精神で常にあり続けろ_」ある上司に出会い、仕事に対する価値観が変わった。

当初は、周りから認めてもらうことを意識し仕事をしていました。社会人になった当初、仕事ができない自分というものの情けなさ・辛さを味わったので、仕事ができることを周りに認めてもらうことが大きなモチベーションでした。入社し4年が経過した時にある上司に出会い、仕事に対する価値観が変わりました。「自分ができることは全てやる。Give&Takeでなく、Giveの精神で常にあり続けろ」ということを背中で教えて下さいました。これは一生大事にしたい考えです。その後組合で全社的な観点で仕事をする経験をしました。組織全体からすると「サラリーマンという」一つの歯車に過ぎませんが、個人の力で会社が動くことを実感し、組合後の配属先では会社を更に良くできるような歯車になることを意識し仕事に取り組みました。最後の配属先でも上司と周囲の方々に本当に恵まれたと実感しています。

「本当に十勝に来たのだ。ここで今から会社を創っていくのだ」

まさか、自分が会社を辞めるとは考えていませんでした。米田とは野村證券時代に一緒に働いていたこともあり、仕事へ取り組む姿勢、奇抜な発想、他人への思いやり等々、人としてビジネスマンとして尊敬する人物であったため、彼から声をかけてもらった時は非常に嬉しかったです。また、林とは今年の1月に初めて会ったのですが、米田から聞いていた話以上でした。ビジネスマンとしての能力が高いことは勿論、自己犠牲の精神等、一緒に働きたいと思える人物でした。そのため、起業することに不安はありませんでした。2020年4月に初めて帯広に来ました。とかち帯広空港に到着し、外に出ると、道にはまだ雪が少し残っていました。「本当に十勝に来たのだ。ここで今から会社を創っていくのだ」と、実感が沸々と湧いてきたことを覚えています。空港から帯広市内に向かう車中から見える十勝の雄大で美しい景色に目を奪われながらも、頭の中で「やってやる」と強く決意しました。

100年後、200年後に日本に住む人たちに。

日本における地域活性化のモデルを創りたいと考えています。人口減少に加え、東京一極集中の時代の中で、ともすれば地方は衰退し、日本から消えてはいけないものまで今後消えてしまう可能性があります。100年後、200年後に日本に住む人たちに伝えたい日本を残せるよう、その一助を担える会社にしていきたい、なっていくと考えています。

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